高齢者のより良い住まい方

今から、12年前、
サラリーマン時代の1997年11月、社長命令でヨーロッパ都市視察に行った。

 

ミラノ、ヴェネチア、バルセローナ、パリ
約半月の滞在で、居住用・事業用の建物見学が主な目的だったが、人々の生活様式、単的にいうと、
歩いてる、しゃべってる、働いてる様を、できる限り、観察してみた。

 

パリのオペラ座の近く、スペイン銀行の角に立ち、雑踏の中、人々や車の往来を飽きもせず、2時間ほど黙って視ていたことがある。

 

街は建物があって、道路があって、行きかう自動車・自転車が頻繁に往来していて、
・・・・・・・・の様相は各都市共通のもの。

 

けど、ここの空間や時間の流れの匂いは、明らかに、東京や札幌の中心街のそれではないと感じた。

 

人々の発する音、笑ったり、言い争ったりしている音が、生活音や車の発する喧騒音などを上回っている。

 

つまり、
人間臭さが都市機能施設より上回っている。
そう感じた。

 

極端にいえば、
この街から、全ての人が一瞬に消えたとしたら(アホな思いつき)・・・・・・・・・
駅・レストラン・デパートなどの建物という建物、道路という道路、信号、バス・タクシー・自転車は、言い換えれば、全ての人工物は、ただの瓦礫、無用の産物。

 

「人が主人公であるべき。全ての施設、機能は従属物。」
・・・・・・・・・より、鮮明に思った。

 

日本は10年後、団塊の世代が高齢者に突入する。

 

人口構成比率の最も高い彼らを包含した「人が主人公」であるべき住環境をつくるには?
考えてしまった。

 

姥捨て山の時代ではない。

 

人間、生きているうちは、生きている生活をしなければ・・・・・・・
「死せる孔明、生きる仲達を走らす」ぐらいの気持ちがなければと思う。

 

が、核家族が顕著になっている世の中、高齢者が満足できる住まいは?
こんなことを考えた。
(現実は難しいが・・・)

 

1.特化型住宅はさけたい
高齢者専用共同住宅や専用マンションは都市の中の隔離状態をつくる傾向あり。

 

2.郊外型はさけたい
いかにも、「姥捨て山」で殆ど、隔離状態。

 

3.できれば、都市部の中心に近く、老若男女との接点が多く常に触れ合える場所がいい。

 

4.建物はモザイク型共同住宅が望ましい
同年代もいれば、若い人も住んでいる、小さなコンミューン形態がいい。

 

 

「住まい」に携わる者として、
今までの経験と知識と知恵で「私はできる」と思っている。

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