時代が人を求めるのか?人が時代を求めるのか?

時代が人を求めている?

時代が人を求めている?

「白州次郎」が、
主人公だと思われるドラマがテレビで放映されていました。
途中から見たので全体を見られなかったのが残念。
確か、NHK。
夜の特集番組のようでしたね。

 

以前、白州次郎の生涯を描いた本を読んでいたので、自分勝手に描いている「白州次郎」像と、俳優さんの表情・仕草などを比較しながら、「どんなんだ?どんなんだ?」
五寸釘づけ状態で視ていました。

 

特に1951年、
サンフランシスコ講和条約調印式で吉田茂首相がスピーチする言葉が、彼の意向で、英文から日本語に急遽、切り替える場面などは、「principle」を大事にされた彼の自然体(第三者の目では真骨頂?)現象・・・・と同感したり、勇気をいただいたような感慨をもちましたね。

 

このシーンを見ながら、

 

「一人の誇り、一人の信念・勇気は、時として国家の行く先に影響を与えるもの?・・・」
と思ったり・・・・・・。
「国家は人なり、人は国家なり。」なのか・・・
世間では、「企業は人なり」とはよく云われるが根っこは人?

 

ということは、全ては人か?

 

組織力も一人ひとりの個人力が基本?

 

個人の「principle」が大事?

 

 

「歴史に正解なし、万択の1つの結果でしかない」?
と、一人 ブツブツ。

 

 

こんなシーンも・・・・

 

彼は講和条約締結後、吉田茂首相に云った。
「もう、あなたの時代は終わった。退くべきです。」

 

この場面を見ていて、
思いは学生時代に記憶された「de-gaulle est mort」に飛んでしまった。
多分、スペルはいい加減。
フランスの新聞、第1面に大きく載っていた「見出し」を強烈に思い出してしまった。

 

「ドゴール 死す!」・・・・・・

 

新聞一面(専有面積100%?)の記事。

 

 

底流の流れは別にしても、一時代は終わったんだ!

 

人が時代を求めるのか? 時代が人を求めるのか?

 

夜も寝ないで、昼間 寝ながら考えよう。

 

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